ガリ切りの記―生活記録運動と四日市公害
本, 澤井 余志郎
によって 澤井 余志郎
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内容紹介 四日市の紡績工場での文化サークル「生活記録運動」を通じ、長野・伊那出身の女子工員たちとともに、“民主主義"を体得していったこと―― 「四日市公害」の渦中の、ぜんそく患者たち、地元の漁師、住民、役所、企業、議員、学者、労組、陰で支えた人々のこと―― 「青空回復請求」が「金銭補償」に回収されてゆく顛末―― 著者は、つねに一市民の眼差しで事実を見つめ、ありのままを記録した。 その記録から知ることができるのは、「戦後」と「高度成長」の時代に、何を“豊かさ"と信じ、何を手放してしまったのかという、今日につながる日本社会の内実。 出版社からのコメント 戦後、紡績工場労働者として、寒村出身の女子労働者たちと共に組合サークルの「生活記録運動」に学んだ著者は、後に四日市の反公害運動に一人の「助っ人」として取り組むことに。そして、ぜんそく患者からの聞き書きをはじめ、運動を陰で支えた人々のこと、「青空回復請求」が「金銭補償」に回収されてゆく顛末などを“ありのまま"に記録した。見る・書く・読みあうことで共に成長してきた“戦後民主主義"の一つの姿。 内容(「BOOK」データベースより) 漁業・紡績の町から石油化学コンビナートの町へ。そして、海と空は汚された。“金じゃない、青空を返せ”の声はかき消された。市長、議員、役所、企業、革新政党や労組は、何をしたのか。人々のささやかな暮らしより「経済成長」優先の者、もとの暮らしを取り戻したい者、立場をするりと入れ替える者、そうした人間の姿を、著者は四日市で記録しつづけた。 著者について 1928年静岡県雄踏町に生まれる。 1945年浜松工業学校紡織科卒業。翌年、四日市の東亜紡織泊工場に就職。中学生の生活綴り方を集めた『山びこ学校』に触発され、工場の女子工員らとともに生活記録運動をはじめる(「生活を記録する会」)。 サークルでの作文は、『母の歴史―日本の女の一生』(木下順二・鶴見和子編、河出書房、1954年)、『仲間のなかの恋愛』(磯野誠一等編、河出書房、1956年)として出版され、また集団創作劇『明日を紡ぐ娘たち』(劇団「三期会」上演)に結実した。 1954年地区労働組合協議会での臨時職員を経て事務局員(1990年定年退職)。 1962年ごろから四日市公害が顕在化すると、被害住民たちへの聞き書きをはじめ、ガリ版文集「記録『公害』」(1968年~1999年)を発行。四日市公害を記録しつつ、反公害運動に尽力してきた。 [編著書] 『くさい魚とぜんそくの証文―公害四日市の記録文集』(はる書房、1984年)、『紡績女子工員生活記録集』(全7巻、日本図書センター、2002年)、『「四日市公害」市民運動記録集』(全4巻、日本図書センター、2007年)など。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 澤井/余志郎 1928年静岡県雄踏町に生まれる。1945年浜松工業学校紡織科卒業。翌年、四日市の東亜紡織泊工場に就職。中学生の生活綴り方を集めた『山びこ学校』に触発され、工場の女子工員らとともに生活記録運動をはじめる(「生活を記録する会」)。1954年地区労働組合協議会での臨時職員を経て事務局員(1990年定年退職)。1962年ごろから四日市公害が顕在化すると、被害住民たちへの聞き書きをはじめ、ガリ版文集「記録『公害』」(1968年~1999年)を発行(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る
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以下は、ガリ切りの記―生活記録運動と四日市公害に関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
こういうタイプの人たちが日本の社会を担ってきたから日本は今世界で存在を語れるようになっている.
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